タイムマシンの実現はできないが、SF小説では色々取り上げられている。
その中で必須の機能としては、元の世界に戻るということがある。
SF小説ではそうしないと話が終わらないのだろうけど、
実際には元の世界に戻るのは必須なのか?
タイムマシンで過去に入ったら、またタイムマシンを使って
元の世界に戻れるはずだし、未来へ行ってもいいことになっている。
しかし、タイムパラドックス的には矛盾するので面白くない。
過去に戻り、若い時の親か爺さんや婆さんを殺したらどうなるのか?
という話だ。
そもそもこの根底には、過去に戻ったら、当の本人は
・元の世界にも存在するのか、元の世界では消滅するのか
が明確に定義されていない。
パラレルワールド世界観なら、元の世界に存在したままだろうけど
そうしたら同一人物が元の世界と過去の世界に同時に存在してしまう。
それを許すのか?
また過去の世界に介入することで、その後の世界が変わることは
どうなるのか?
SF小説ではこういった問題点を防ぐために介入禁止としている。
元の世界に戻ったとして、その時には2人いた片方は消滅するのだな。
ってそこまで書かれた小説はあるのかね?
かといって、元の世界では消滅するとした場合、
同一人物が元の世界と過去の世界に同時に存在しない点はクリアするが、
未来の世界が変わる。
元の世界から消えて、過去の世界からのリスタートになるわけで、
その人物の子孫関係が大きく変動する。
やはり介入禁止は必須なのか?
じゃあ何をするために過去に行くのか?
なので、何回も過去に行ったり未来に行ったりするだけで、
矛盾だらけになり、世の中が大きく変動というか混乱する。
だから、制限を設けて、タイムマシンは1回だけ使用可能で、
後戻り禁止としてみてはどうか?
タイムパラドックス的には矛盾することは解決できないが、
大きく狂いまくることはある程度は防げるのではないだろうか。
1回だけ使用可能とした場合、人間の行動としては
・何もしない(タイムマシンを使用しない)
・過去に行って自分の過去を変えたい
・未来に行って自分の未来を見てみたい(が、死んでいるかもしれない)
自分が死んでいた場合、どうなるの?
未来に行った時点で、自分の子孫は消滅しそこで自分のリスタート?
と考えられるけど、やはり圧倒的に多いのは
・過去に行って自分の過去を変えたい
だろうなあ。
・過去に行って自分の過去を変えたい
としても、その過去の自分と現在の自分とどう区別するのか?
→過去の自分は若いままだけど未来は何も知らない
現在の自分が過去の自分に情報を吹き込むとして、
現在の自分は途端に変わってしまうものなのか?
→現在の自分が過去に行ったところで若返るわけではないのと
どうやっても過去は変えられないため、全く意味はない
ってことを考えると、矛盾しまくりでますます混乱するばかりだ。
SF小説を書くにしても、矛盾する点をどうやって整合性をとるか、
(ある意味、煙に巻くか)考えるだけでも面倒だな。
矛盾しまくりで、論理に整合性がないものは話にならない。
やっぱりダメだわ。
そもそも、タイムマシンの使い方というか、機能の定義があいまいだ。
過去や未来の情報のみに限定したアクセス機能なのか、
過去や未来に自分を飛ばしてその世界への介入が可能なのか
によって大きく変わってくる。
SF小説としては介入禁止、情報のみアクセス可能というあたりが
一番矛盾も少なく、落としどころと言えるだろう。
世間のSF小説家は何を考えて小説を書いているのだろうか?
実際の所、原理や理論といったところより、
人間の感情(恋愛、友情)を優先して書いているのだろうなとは思う。
タイムマシンはどうせ実現不可能なので、話が矛盾しまくりでも
読んで面白ければそれでいいというものなのかもしれない。
とにかく、タイムマシンというものは実現しないので
あれこれ考えてみても時間の無駄である。
ずっと晴れ間がないので、妄想ばかりしているが、
馬鹿の考え休むに似たり、至極名言である。
コメントする