紫式部の役目

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藤原道長の兄、道隆の子で定子は一条天皇の后になった。
道隆の死後、道長は、我が子の彰子を無理やり一条天皇の后にした。
これを一帝二后といい前例がなかったが、
中国ではそのような例があったとして無理やり強行した。

しかし、一条天皇は定子にぞっこんで、彰子には振り向かない。
定子には清少納言というパリピで陽キャラな女房の存在があり、
彼女を中心とした文化サロンが形成されていた。

道長は、こういった状況をよく把握しており、
・何かとプレゼントを公家にばらまく(外堀を埋める)
・文化サロンを彰子の周りにも形成する(内堀を埋める)
という戦略をとったとされる。

その文化サロンの中心人物として
源氏物語を書き始めて有名になりつつあった紫式部に目をつけ、
源氏物語をさらに著述させて宮中に送り込んだという。

また、定子は一度仏門に入った過去を取り上げて
仏門に入ったものが后の位置にいるのはおかしいとして、
道長は定子を追い出すという強硬策もとっている。

源氏物語の威力はすさまじく、一条天皇はすっかり虜になってしまう。
一条天皇は彰子にぞっこんとなり、道長の思う壺に嵌ったわけだ。

こうして道長は彰子をはじめ、3代にわたって天皇の后に娘を送り込み
絶大な権力を握ることになったわけである。

陰キャラな紫式部ではあったが、彼女の役目はこういった時代背景があったとされる。

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このページは、ピカチュウが2024年1月31日 08:00に書いたブログ記事です。

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