先週放映された、NHK-BS 英雄たちの選択では、「金ヶ崎の退き口」であった。
これは戦国時代、織田信長が越前の朝倉氏を攻めていったが、
浅井長政の裏切りによって、逃げ帰った事件のことである。
1570年(元亀元年)4月、織田信長が越前の朝倉氏を攻めに行った。
その前に、将軍足利義昭を京都で15代将軍に祭り上げた後に、
徳川家康も含めて京都で派手な馬廻を行った。
その後、若狭から越前への侵攻である。
越前国の最初は敦賀である。
敦賀の金ヶ崎城を落とした(家康も一緒に攻めている)後、
朝倉市の一乗谷へと進軍した。
この時の先鋒は、家康だ。
この時の信長勢は、実に豪華であった。
信長以下、秀吉、松永久秀、明智光秀、柴田勝家、丹羽長秀など、家康も含め
後に有名となる戦国時代の有名武将がずらりと勢揃いした。
ここで、浅井長政が裏切ったとの情報で、
信長はわずかな手勢で一番先に京都へ逃げ帰った。
信長から殿を任されたのは、秀吉だったが、一番奥まで行ったのは家康だったので、
事実上、殿は家康だったのだ。
家康は信長から見捨てられていたが、撤退せざるを得ない。
撤退の最中に、秀吉が朝倉勢から囲まれてピンチだったところに
家康は秀吉を助けている。
そして、越前(敦賀)から若狭の美浜へ脱出した。
信長は、殿を務めた秀吉に褒美(金)を与えたが、
家康には褒美を与えたとの記録がない。
その後、信長は体制を立て直し、同年6月には
家康と共に「姉川の合戦」で浅井・朝倉連合軍にリベンジする。
その後、信長包囲網が築かれて、周りをすべて敵に囲まれるが、
後に信長はこれらを全部撃退する。
浅井氏、朝倉氏、比叡山(焼き討ち)、甲斐の武田氏、
将軍足利義昭(追放)、石山本願寺(和睦して追放)、など。
「どうする家康」ではどのように描くのか?
「金ヶ崎の退き口」の舞台となったのは、福井県だ。
越前国は、敦賀を含めて福井県の北半分、
若狭国は、敦賀を含めず、東は美浜、西は高浜まで。
美浜には、美浜原発(現在3号機が運転中)があり、
高浜には、高浜原発(現在3号機が運転中、4号機は先日緊急停止した)がある。
ちなみに、俳優の大和田伸也は敦賀の出身で、歌手の五木ひろしは美浜の出身だ。
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