太平洋戦争で負けた日本は、GHQの管理下に置かれた。
GHQは刀を没収した。これが昭和の刀狩である。
全部没収というわけではなく、
名工による名の知れた刀は美術品という形で没収から逃れたが
無名の刀は没収され、その数は100万とも300万ともいわれた。
明治の廃刀令は、刀を差して歩くなというもので
没収ではなく、自宅保管は認められていた。
文字通り明治の廃刀令は廃刀令であって刀狩とは違う。
一番有名なのが秀吉の刀狩であろう。
これは天下統一を果たした秀吉が、
全国統一規格で田んぼを測量(太閤検地)し、これとセットで農民から刀を取り上げた。
昔は、武田信玄や上杉謙信の川中島の戦いの時代は
戦は農民を使っており、農閑期に行われた。
川中島の戦いでは農閑期ではない時もあり、夜に逃げ出すものが多かったという。
信長や秀吉の時代になると、兵隊さんは農民ではなく、お金で動く傭兵の時代になった。
秀吉は、兵農分離し、農民は農業に専念させ、これが封建時代として明治維新まで続く。
秀吉の刀狩は特に有名だが、鎌倉時代から治安維持のために行われていたようで、
秀吉の専売特許ではない。
秀吉の刀狩は農民に方広寺の建立で梵鐘や釘に使うためとして刀を出させた。
この方広寺の梵鐘には「国家安康」の文字があり、家康による難癖をつけられ
のちに大阪冬の陣/夏の陣となり、豊臣家の滅亡となったのは皮肉であろう。
今では、
刀というと、
右寄りの事務所の長押に飾ってあるか、
組の事務所にあるものと相場が決まってますね。
あるいは、勝進太郎が真剣を使って...とか、
物騒な輩の扱うものになってしまいました。
子供の頃は、名刀のプラモデルが沢山あったものですが、
それで育って、その道に進んだ人はいたかもしれません。
関の孫六の名刀でなくても、
ゾーリンゲンのシェフナイフ、
あるいは
関の和包丁。
「〇〇に刃物」というものをしみじみと感じるこの頃です。
ちなみに、
私は刃を研ぐのが得意ではないですね。
どうしても鈍ってしまいます。
料理人をやっている甥っ子は上手いので、
やってくるたびに研いでもらっています。
n2068ddさん、おはようございます。
例の事務所に飾ってあるのは本物ではないと思います。
おそらく形だけではないかと、でないと格好がつきません。
お寺の座敷なんかに飾ってあるのは形だけの偽物で本物は厳重に保管してある、とのことでした。