オジー・オズボーン

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が妻のシャロン・オズボーンと離婚したというニュースがあった。
それがどうした?って話なのだがつらつらと書いておく。
不確かな記憶なので間違えているかもしれない。

オジー・オズボーン:イギリス人、所謂ロック・ミュージシャン、もう70歳を超えているのではないかと思う。
1960年代末頃だったか、70年代初めだったか、ブラック・サバス(Black Sabbath)のヴォーカルで有名となる。
当時のハード・ロックはレッド・ツェッペリン、ディープ・パープルに次いでいたかと(実はあまりよく知らない)。
その後ブラック・サバスを抜けてソロに転向。
「Blizzard of Ozz」がソロデビューアルバムで、「I Don't Know」「Crazy Train」などの有名な曲がある。
(実はこのアルバムは大好きだ)
あとは「Bark At the Moon(月に吠える)」とかも有名でおいらもよく聴いていた。
その後は音楽を聴かなくなったのでよくわからない。

オジーはブラック・サバス時代から、おどろおどろしい声質・曲名・歌詞・ステージパフォーマンスで有名で
かなり変なことをやっていたはず。(ステージでは動物の死体に噛み付くとか)
確か蝙蝠に噛み付いて病院送りになったはずだったかと(蝙蝠は病原体の巣窟だ、常識ある人間は近寄らない)。
海外ミュージシャンにはよくある薬中毒だの一人で放っておいたら何をするかわからない危険人物でもある。
この変人をうまく支えてきた(というか操っていた)のが嫁さんだったのだ。
もうじじいだし面倒見切れなくなったのだろうか。

この変人だが、おいらの勝手な想像ではあるが音楽性については一流だったと思っている。
サバス時代もそうだがソロになってからもおどろおどろしい部分はありながらも音楽性はハードロックの王道を行くというか
変な方向にそれなかった。
(そういった方向性を彼本人が考えていたのか、嫁さんが誘導していたのかはわからないが)
正統派ハードロックの音楽スタイルで、おどろおどろしさは少しスパイス的に使っていただけではなかったのかと思う。
だからファンも多く日本でも彼のファンは多いと思う。若い人でもYoutubeでオジーの昔の曲の演奏をやっている人は多い。


ところで、おどろおどろらしさを出したロック・ミュージシャンは他にもいる。
レインボウの初代ヴォーカル、ロニー・ジェイムス・ディオ。
ディープ・パープルのギタリスト、リッチー・ブラックモアがパープルを抜けて結成したのがレインボウ。
アルバムを出す毎にメンバーを入れ替えて音楽性がコロコロ変わっていったグループだ。
ロニーはそれでも1・2・3枚目のアルバムに参加している。
初期レインボウの顔でもあったわけで、おどろおどろらしさはスパイス的に出していたこともあり、
この時代のファンもかなりいるはず。
ところが、おどろおどろらしさに嫌気がさしたのか、さっさと首になって、次のボーカルはグラハム・ボネットに代わる。
これで音楽性が暗めのロックから明るめのロックに変貌した。かなり変わったがこれはこれで成功したと思う。

そこで、レインボウを追い出されたロニーはソロに転向する。
だがソロになってもパッとしなかった。
その理由は音楽性がおどろおどろらしさに向いたからだとおいらは思っている。

ロック・ミュージシャンは売れたら自信をもって好きなことをやるようになるが、
好きなこと≠売れる音楽を理解しているミュージシャンはどの程度いるのだろうか。
オジーがソロになっても進むべき音楽性を冷静に見つめていたのか、何も考えていなかったのかは当事者以外は誰にもわからない。

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このページは、ピカチュウが2016年5月12日 08:00に書いたブログ記事です。

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