タイムマシンを考える(6)

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タイムマシンを扱ったSF小説では、よく時空警察という存在がある。
これはタイムパトロールして、未来への影響を与えないように
監視する役割としている。

しかし、小説なんだから何を書いてもいいのだけど、
本気になって考えると、時空警察なるものは可能なものなのか。

まず第一に、未来を改変するということは、未来の世界を知っていることが前提である。
この場合、未来といってもいったいいつの時点の未来なのか?
別に1万年後でも100万年後でもいいのだけど、
その時点で人類はどうなっているのか?
もしかしたら人類は滅亡しているかもしれない。
だとすると、誰が時空警察を組織するのか?
人類の代わりの知的生命体が存在したとして、
現代にやってきてどうパトロールするのか?
遠い将来には、地球が滅亡するのは確実だ。
だとしたら、そもそもパトロールすること自体、意味があるのか?

第二に、未来の世界というものの定義がそもそも曖昧だ。
正しい未来世界の内容とは誰がどのように定義するのか?
過去から未来への流れを記録したとされる、
アカシックレコードというものが存在したとして、
その中身は誰がどのように定義したのか?
その情報へのアクセス方法や解読方法はどうするのか?

第三に、そもそも何をどのようにパトロールするのか?
過去にやってきて人を殺すといっても、
タイムスリップした人物の特定と、その人物の行動を張り付いて
監視するのか?
タイムスリップした人物が多いと監視役も大勢必要だぞ。
で、タイムスリップをどのように検知するのか?

別の考え方もある。
時空警察なるものは存在せず、過去に介入しても未来は変わらないという考え方だ。
ある時代に誰かが大いなる発明や発想を得て、世界が大きく変化したとする。
過去に遡ってその人物を殺害したとしても、
別の誰かが代わりに発明し、結局はその世界になっていく、との考え方だ。
なので、局所的には変化はあっても、大局的には変わらないのだ。
おいらとしては、この考え方なら支持する。

映画のターミネーターシリーズでは、まさにその考え方であろう。
未来からターミネーターをしつこく送り込んでも、コナー親子の殺害には失敗する。
しかし、審判の日は起きてしまうので、未来は変わらないのだ。
コナー親子を殺害したとしても、別の誰かが指導者になる。
有能か無能かは別としても、有能な人でないと代わりは務まらないだろうけど。
だったら、コナー親子の殺害に意味はなく、
未来からターミネーターを送り込む必要性はないわけだ。
合理的な機械文明側がそんな無駄なことは考えないし行動も起こさない、
と考えるのは間違っているのかな?

しかし、続編、続々編まではいいが、何作もやると収拾がつかなくなっている。
未来の人類側の指導者はジョンコナーの代わりに、別の人物(女性)に変わってゆく。
サラコナーは老婆になっても生きていたり、もう映画は打ち止めにしとけや、と思う。

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このページは、ピカチュウが2023年2月16日 08:00に書いたブログ記事です。

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