2022年7月アーカイブ

おいらが10代の頃は、コーラが大好きだった。
しかし、20歳を過ぎるとコーラは飲まなくなった。
今もコーラは飲まない。
10代の頃はなんであれがうまいと思っていたのだろうか?

音楽の趣味も、多少は変わった。
先日、NHK-BSでオフコースの伝説のライブの放送があった。
1982年6月30日のライブでちょうど40年前だな。
このライブを最後に解散したものと思っていたが、
実際に解散したのは1989年ということだけど、
実質的には1982年で終わっていたのだろうと思う。

当時はオフコースはラジオでよくかかっていたから
有名な曲は大体わかるけど、おいらはあまり好きではなかった。
当時は洋楽ばかり聴いていたのもあるけど、
何というか曲が女々しいというかなよなよしいというか、
女が聴くのはわかるけど、男が聴くものじゃないだろうと思っていた。

しかし、今、この40年前のオフコースライブをじっくりと見てみると
中にはいい曲もあるものだと感じた。
特にメロディーがいいかな、詩は女々しいけど。
好みが変わったというか、歳をとってじじいになっただけかもしれない。

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「言葉にできない」では、歌うのをやめて泣いてしまった小田さん。

肩が痛い

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50肩?60肩?
左の肩が以前より痛くなってきた。
左腕をまっすぐ上に上げるのは、以前は問題なかったが今は痛みがある。
不用意に左手を動かすと痛みがあり、左手をあまり動かさないようにした。
草刈は、左腕を使うが無理して作業してきたのがまずかったか?

子供(やくざ医師)に聴いたら、湿布でも貼っとけ、だった。
治療薬はなく、自然治癒するのを待つしかないようだ。

かぼちゃ

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かぼちゃの畑、
葉っぱがでかい、花が咲き終わったので、これから実が生る。
収穫は当分先だ。

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かぼちゃの手前には、瓜を植えたのだが、葉っぱが小さい。
瓜は食べごろのものもある。

やっと梅雨明け

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2度目の梅雨明けというか、本当の梅雨明けになった。
それはいいのだが、まだ天候が安定しない。
凄くいい青空なのだが、雲が所々にある。
これが一番悩ましくて、結局撮影を断念する。
天気が安定するのは9月になってからだな。

ああ早く9月になれば、と思ってしまう。
と思ったら突然、「ああ早く、9月になれば、、、、」
って何かの歌だったような気がする。
思い出した、「I LOVE YOU」(尾崎豊ではない)
これ、途中に英語のアナウンスが流れて、
「昨夜元ビートルズのジョンレノンが銃に撃たれて、、、」
というラジオの内容だったはず。
9月になれば、というのはジョンレノンとは関係なく、
作詞作曲した人が9月に結婚するからということで、
(本当に9月に結婚した)
そんな個人的なことを歌詞にして歌にしてしまうのは流石というか、
やりすぎというか、まあ好き勝手にできたいい時代だったのだろうな。
そのせいかどうかは知らないが、グループはその後解散する。

元ジャングル地の草刈

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昨年、チェーンソーで伐採した地面の草刈りを行った。
7月に入ってからの土日は毎回、1日1時間で草刈りした。
真ん中の家の1階の屋根が見えなかったのが、
1階の下の方まで見えるまでになった。

夏場の草刈りは暑さとの戦いだ。
1日1時間しか身体が保たない。

連立を組んでいる公明党の影響もあるので
純粋な自民党の政権ではないからだと思うが
今の自民党政権はリベラルで社会主義だ。

例えば、春の春闘シーズンでも政府が
「賃上げしたらその分減税しますよ」なんてことをやっている。
昔の自民党政権では考えられないことをやっている。
それからつい先日の参議院選挙の直後には、
岸田首相が、「物価高騰に関して色々対策を行う」
なんてことも言っている。
もうまるで社会主義ではないか。
(日本は一番成功した社会主義国だ、との有名な言葉があるけど)

こんなことをやっているからこそ、左派系野党が凋落していく。
野党のやることがなくなってきている。(一部の野党を除く)
ますます自民党が強くなる。
公明党はそろそろ自民党から離脱するのか?
それとも勢力を落として自滅するのか?

自民党としては、特に立憲共産党に対し、
もう少し勢力を与えてもいいと思っているフシがある。
選挙で勝ちすぎは良くないという考えではなく、
立憲共産党が野党第一党であればよいのだ。
だって奴らがいれば何も考えずとも安定して政権運用ができるから。

オニユリとアゲハ蝶

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我が家にもオニユリが咲き始めた。
早速やってくるアゲハ蝶。

北陸新幹線の工事

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我が家から見える北陸新幹線。
やっと架線の電柱が取り付けられた。
工事は少しは進んでいると思うが、
まだまだ先だな。

統一教会

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統一教会を知ったのは、今から50年以上前、小学生の頃だった。
当時、我が家はバリバリの自民党員の家であったが、
なぜか赤旗を購読していた。赤旗だけではなく全国紙も購読していたが。

町内に共産党支持者の家があり、そこの付き合いだろうと思われる。
その家には同級生もいて、よく遊びに行っていた。
町内のご近所さんであり、町内仲良く差別もなかったはず。

いくら小学生といえども、我が家は自民党、あの家は共産党ということはわかる。
選挙になると、あの家には共産党の候補のポスターがべたべたと張られていたのだ。
子供心に、共産党の候補はいつも選挙で落ちるのに
何をやっているんだろうとは思っていた。

当時のおいらは活字に飢えていた。
ど田舎で本屋はバスに乗って遠くへ出かけないといけないし、
(我が家は貧乏でバスに乗るお金も本を買うお金もなく)
小学校は分校で図書室もなかった。
月に一度の学研の科学だけが楽しみで、
毎日毎日隅から隅まで何回も読み返していたものだった。

そんなわけで、新聞も当然読む。
漢字が読めなくても、見出しで大体の内容はわかるし、前後の文脈でもわかる。
新聞でよく読んでいたのは、社会面や文化面や読者投稿の欄とかだったように思う。
政治や経済は読んでもよくわからなかった。

赤旗は赤旗で、共産党の新聞であることは承知していたが、
それでも喜んで読んでいた。
当時赤旗では統一教会の記事が多かった。
統一教会=勝共連合で、教祖は朝鮮人の文鮮明、共産党を敵視している団体だ。
と赤旗には記載されており、それで共産党は統一教会を敵視しているのだなと思っていた。
信者は多額の寄付を強請され、霊感商法で怪しげな壺を買わされたなどと
赤旗は報じていた。 --> 今も同じで変わらない。

子供心に統一教会=勝共連合はとんでもない悪の組織であると認識した。
赤旗以外でも新聞やテレビで取り上げられていたはず。

赤旗の記事の内容までは覚えていないが、印象に残っているのは
・統一教会の記事
・収入が少なく生活が苦しいんです、の記事
これしか記憶にない。

当時の我が家は貧乏農家ではあったが、食うには困らなかった。
収入が少なく生活が苦しいんです、の記事を読んでも、
我が家も貧乏だけど、記事の内容がよく理解できなかったのは記憶にある。
記事に書いてある内容はわかるのだが、その状況にあることが理解できなかったのだ。
というのも、50年以上前とはいえ、農業をやっているのは我が家以外ほとんどなく
大多数は会社員の世の中だった。
収入が少ないなら、もっと稼げる会社に転職とか、手に職をつけるとか
有用な資格を取得するとか、いくらでも収入をあげることはできるだろうと
なぜそういった行動をおこさないのかと子供心に思っていた。

安倍元首相殺害実行犯だが、彼はかなりの逸材だったと思う。

彼は犯罪者であり、擁護するわけではないが、
・目的を設定したら最後まで実行する
・入念な計画を立て、その通りに実行する
・リソース配分と計画スケジュールをしっかりと組み立てる
・実行や計画の狂いにも柔軟に対応し、目的を完遂する
・強靭な精神力の持ち主である

最初は爆弾の製造を仕様としたが、無関係な人への影響を考慮し
自作の銃の作成に切り替えた。
銃はガンマニアは銃そのものを目的とするが、
彼は道具として銃というものでしか捉えていない。
殺傷能力、命中精度を考慮し、いくつもの銃の試作を繰り返した。

最初の一発目は外したというが、そこでも冷静に行動し、
2発目の3秒の間に距離を縮めて、照準を合わせなおして2発目は命中させた。

何というか常に冷静で落ち着いて計画を最後まで実行した彼の丹力は認めざるを得ない。
犯罪に走ったことは許されないことではあるが、見方を変えてみよう。

彼の生い立ちや環境は最悪だったが、普通の家に生まれ、普通に育ったらどうなっていたか。
高校は地元でも有数の進学校だったという。
成績はかなり優秀だったので、有名大学へと進学したであろうし、
その後は大学に残ったとすれば優秀な研究者、准教授や教授にも成れたであろう。
民間企業に就職したとしても、実行不可能な難解なプロジェクトを成功させ、
部長クラスに成れていたのではないかと思う。

彼は素晴らしい能力の持ち主であり、10万人に一人の逸材だったと思う。
犯罪に走ったのは許されないことではあるが、彼の能力をもっとまともな
方向に使えばよかったのにとも思う。

一人で回転すし

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回転寿司屋は家族連れでしか行ったことがない。
しかも行く頻度は低かった。

この前一人で行ってきた。
一人だと自分の好きなものだけをマイペースで自由に食べられる。
これはありですな。

とはいえ、昔みたいにたくさんは食べられない。
頑張って7、8皿+天ぷらうどんがやっとだった。

最近の回転寿司屋は、回っているのを取るのではなく
タッチパネルで注文すると目の前にやってくる。
凄い時代になっているのにはびっくりした。

WiFiルータを交換

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我が家のWiFiルータは5,6年前のものだと思う。
家族からの不満があり、2階では繋がらないと文句を言われていた。

仕方がないので新しいWiFiルータを購入した。

古いWiFiルータを外して新しいものに交換。
あとは説明書を読みながら設定して完了。

ただし、説明書はかなり簡略過ぎて
ネットワークの知識があればどうってことはないが
普通の人間には完璧な設定は無理だろう。

交換後は、新しいSSIDとパスワードを教えて接続し直しとなる。
2階でも繋がるようにはなったようで、一応目的は達成した。

エアコンの温度は28℃にしている。
ところが日によってというか、天候によって変える必要がある。

晴れた日の場合、28℃は寒いので29℃とか30℃にしている。
雨が降った日、その翌日は、28℃は暑いので27℃にする。
湿度により、最適気温は変化するということだな。

我が家では、おいらだけが寒がりなので、
エアコンの温度を上げようとするし、
扇風機も嫌いなので止める。
そうすると暑がりな他の家族が一斉に反発してくるので
肩身の狭い思いをするしかない。

昭和のカタナ狩

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1980年代、昭和の末期にもカタナ狩は行われた。(刀狩ではなくカタナ刈)
ただし歴史上の事件ではなく、
一部の人の間で「昭和のカタナ狩」と語り継がれた俗な社会現象があった。
警察(交通課)による、カタナの取り締まりである。
このカタナとは日本刀ではなくバイクの名称だったのだ。

ドイツ人デザイナー、ハンス・ムートが日本刀のイメージでデザインした
KATANAがモーターショーでお披露目され、世界の注目を浴びた。
それから数年後、量産化し市販にこぎつけたが(製造はスズキ)
最初は輸出モデルのGSX1100S KATANAがデビュー(排気量1100CC)、
その後国内向けには750CCに格下げしたモデルで国内デビュー(GSX750S)した。
ところが、輸出モデルとは異なりハンドルが恐ろしく不格好なモデルとなった。
それでも人気のバイクで結構売れたはず。
輸出仕様のカッコいいハンドルがこっそりと売りだされ、
国内向けカタナユーザーはほぼ全員がこの輸出用ハンドルに交換したはず。

そこに警察が目を付けた。
警察はバイク野郎が集まる峠道に出向いて、片っ端から整備不良で取り締まったという。
輸出仕様の1100カタナ(本物カタナ)は取り締まりの対象にはならない。

これが昭和のカタナ狩である。

おいらの知人にも何人か国内向けカタナユーザーがいたけれども
カタナ狩にあったとは聞かなかった。
関東や関西の大都市近郊だけの現象だったのかもしれない。

1980年代というか、昭和の末期は実に面白かった。
バイクでは、カタナ以外にもニンジャがあったり外人に受けていたのだろう。
昔の映画「トップガン」の冒頭のシーンで、
トム・クルーズが、滑走路で戦闘機と並走していたバイクに乗っていたが、
あのバイクがニンジャだったのだ。(確か赤色だったと思う)

ニンジャはカワサキが製造したバイクで、型名はGPz900R(排気量900CC)、
これは輸出モデルで900CC、国内向けには750CCに格下げしたモデルを投入した。
国内向けニンジャは輸出用とあまり変わらず、警察によるニンジャ狩は起きなかった。

ちなみに、テレビドラマ「西部警察」で舘ひろしが乗っていたバイクは、
黒色の1100CCの本物カタナだったはず。

テレビでバイクに乗るシーンではヘルメットを被るのはいいのだが、
なぜか顎ひもを締めず被るだけなのが昔から気になっていた。
しっかりと顎ひもを締めないと事故った場合にヘルメットはすっぽ抜ける。
これではヘルメットは何の役にも立たない。
テレビだからだろうけど、もっと安全に配慮したシーンにして欲しかったと思う。

カタナの説明が詳しい
ニンジャ、トップガン

昭和の刀狩

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太平洋戦争で負けた日本は、GHQの管理下に置かれた。
GHQは刀を没収した。これが昭和の刀狩である。
全部没収というわけではなく、
名工による名の知れた刀は美術品という形で没収から逃れたが
無名の刀は没収され、その数は100万とも300万ともいわれた。

明治の廃刀令は、刀を差して歩くなというもので
没収ではなく、自宅保管は認められていた。
文字通り明治の廃刀令は廃刀令であって刀狩とは違う。

一番有名なのが秀吉の刀狩であろう。
これは天下統一を果たした秀吉が、
全国統一規格で田んぼを測量(太閤検地)し、これとセットで農民から刀を取り上げた。

昔は、武田信玄や上杉謙信の川中島の戦いの時代は
戦は農民を使っており、農閑期に行われた。
川中島の戦いでは農閑期ではない時もあり、夜に逃げ出すものが多かったという。

信長や秀吉の時代になると、兵隊さんは農民ではなく、お金で動く傭兵の時代になった。
秀吉は、兵農分離し、農民は農業に専念させ、これが封建時代として明治維新まで続く。
秀吉の刀狩は特に有名だが、鎌倉時代から治安維持のために行われていたようで、
秀吉の専売特許ではない。

秀吉の刀狩は農民に方広寺の建立で梵鐘や釘に使うためとして刀を出させた。
この方広寺の梵鐘には「国家安康」の文字があり、家康による難癖をつけられ
のちに大阪冬の陣/夏の陣となり、豊臣家の滅亡となったのは皮肉であろう。

台風が去って撮影

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20220708.png

雲の晴れ間を縫って撮影。
上弦の月が残っているが、23:30には沈む。
透明度もよく、ガイドの調子もいい。

変な天気

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今年の天気はおかしい。
6月下旬に梅雨明けで、いきなり夏になった。
暑い日が続き、蚊がいなくなった。
お陰で先週は撮影できたのだがな。

今は曇りだが、雲間から見える空はかなり青い。
快晴ならすごく透明度の高い空になるはず。
NINAで撮影していると、1枚毎に星の数を表示するが、
透明度の高い空と悪い空とでは星の数が全然違う。
先週は透明度が高く絶好の機会だった。
天の川の中だということもあるが、
星の数が多すぎてStack時の画像位置合わせが無茶苦茶になる場合もあったのだ。
今までは天の川の中はほとんど撮影してこなかったのでそんなことはなかったが。

今週、来週とずっと天気は悪い。
台風と戻り梅雨ってやつか。
そうこうしていると満月期になってしまう。
しばらく撮影から遠ざかると、やり方を忘れるのだ。

日本は今のところ平和だが、世の中がおかしくなりつつある。
コロナは相変わらずだし、商品の値上げは今後も続くだろうし
しばらくはおとなしくやり過ごすしかないな。

M27

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M27_202207.jpg

FRC300(F7.8) ZWO ASI6200MMPro L:5分x70枚(2xbin) R:5分x13枚(2xbin) G:5分x20枚 B:5分x15枚 Filter:Astrodon I-G2(LRGB)、cropあり

先週撮影したM27、単純にLRGB合成した。
普通というか、素直というか、ありふれたM27となった。
HaとかO3とかで派手に仕上げたくなるものだが、あえて普通のLRGB。

さて今後どうするか?
ナローバンドに走るか、別の対象に行くか?

先週の撮影

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20220705_1.png
先週の金曜日の夜の撮影
21:30-03:05まで晴れた。
10枚撮影毎にオートフォーカスし、最後まで完走。

20220705_2.png
M27のL画像を21:30から(グレーの枠)
G画像を00:30から(緑の枠、G画像の途中で南中)
B画像を01:30から(青の枠)
やはりフィルターで星の数は全然違うものだな。

G画像やB画像は安定して撮影できたが、
L画像は低空から狙ったので星の数が1400->2500とかなり違う。
しかし画像を目で見ても違いが判らない。
低空でも透明度はよく映りは悪くなさそうだ。

土曜の夜は晴れていたが薄雲あり、撮影は中止。
このまま画像処理するか。

昼は草刈り、夜は撮影

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20220704.jpg
疲れますた。

草刈に行く途中、近くの田んぼにコウノトリが4,5羽いた。
近くのコウノトリの巣から3羽のひなが巣立った。

草刈かから帰る途中、鯖江市のバスを先頭に車が数十台と大名行列してやってきた。
コウノトリの逃げてしまったじゃないか、ボケナスが。

梅雨明けで撮影

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20220701.png
やっと晴れたので撮影。
前回は6/8だったので、約1カ月前だ。
前回の現地気温は確か13℃程度だったかと思うが、今回は26℃だった。
一気に夏の気温だ。
カメラの冷却温度は-10℃だと90%弱だが、強引にそのまま撮影に入る。
撮影終了時点でも80%を超えていた。

今回はどうも薄雲があったようだが、撮影できるだけましか。
HFR履歴を見ると、星の数が2000を超えているのが正しいのだが
1500以下の場合は薄雲があったのだろう。
ただし、シーイングは良かったり悪かったりだが、まあまあ安定していた。
HFRが3.2あたりで十分いい感じだが、HFRが3を割ったりする。

ガイド状況はシーイングにもよるが、
赤経:0.4秒角
赤緯:0.3秒角
なので比較的良さげな感じか。

前回からかなりブランクがあったので、やり方をすぐ忘れる。

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