Phantom3 空撮 木ノ芽峠 福井県南越前町

| コメント(0) | トラックバック(0)

峠シリーズ登場、福井県を嶺北と嶺南に二分する峠、木ノ芽峠

紛らわしいが、
越前:敦賀以北の福井県(敦賀を含む)
若狭:美浜以西の福井県

嶺北:南越前町以北の福井県(敦賀を含まない)
嶺南:敦賀市以西の福井県

昔は交通の要所だった木ノ芽峠
ここには前川家の家(民家)があって今も前川さんが居住している。
桓武天皇の子孫であるとか、平家の一族であるとか、織田信長は分家筋だとかだそうだ。

それでご先祖が秀吉をもてなししたときに、信長はどうたら、、、という話をしたら
何かを賜った(その現物も見せてくれる)とかという話をしてくれるそうだ。

この峠は戦国時代にいろいろなことが起きている。
まず信長が朝倉を攻め入って敦賀・金ヶ崎城で浅井長政(信長の妹の嫁ぎ先)の反乱を知り
(信長の妹・お市の方が小豆袋の両端を縛った巾着を届けて信長が袋の鼠だと知るといった噂話があるのはこの時だ)
信長は腹を立てるが勝ち目はないとすぐに京都に逃げ帰る。この時の殿が秀吉で秀吉はこれで武勲を立てる。
この時、長政が裏切らなければ木ノ芽峠を越えて越前に侵攻したはずだった。

その直後、このどさくさで好機とみたか武田勝頼が三河へ侵攻、家康が信長に助けを求める。
浅井・朝倉を後回しにして織田・徳川連合軍による長篠の戦で武田を撃破。
その後すぐに浅井・朝倉を織田・徳川連合軍で姉川の戦いで打ち負かすが、
これは場外乱闘に勝ったというもので、浅井・朝倉はダメージは少ない。
浅井・朝倉は比叡山と組んで信長包囲網を築くが信長はこれに腹を立てて(そりゃそうだろうな)
比叡山の焼き討ちを行い大虐殺。
その勢いで浅井を討伐し朝倉も討伐。近江・越前を完全に掌握する。
越前は織田の支配下となるがその隙をついて越前一向一揆が勃発してまたもや信長を悩ます。
信長はこれも撃破するが、越前攻略は木ノ芽峠ではなく、もっと北西の(現在の国道8号線)ルートで
越前府中(現在の越前市、越前国の国府があった)に侵攻してこれまた大虐殺、その勢いで
木ノ芽峠に向かいまたまた大虐殺。前田利家が見分し「屍だらけでこりゃひでーわ」という文書が残っている。
筆頭家老の柴田勝家を越前・北ノ庄(現在の福井市中心部)に配置して統治する(越後の上杉ににらみを利かす)。
当時の信長は周囲がすべて敵だらけ、家康しか味方がいないがそれでも戦ばかりしていたけれどもこれが戦国時代だ。
時は流れて信長は光秀にやられ、勝家は秀吉と対立。
勝家は賤ヶ岳で秀吉に敗れ越前に敗走するが秀吉に追い詰められて落城。

歴史上はこんな流れだったかと思うが、間違っているかもしれない。



直接見る場合は
https://youtu.be/TJFQyHQivVs
Youtubeの画面右下の歯車をクリックして1080pにすると画質が上がります

トラックバック(0)

トラックバックURL: http://pikachu.ddo.jp/cgi-bin/mt/mt-tb.cgi/206

コメントする

ウェブページ

Powered by Movable Type 5.2

このブログ記事について

このページは、ピカチュウが2016年4月11日 08:00に書いたブログ記事です。

ひとつ前のブログ記事は「今年の桜はもう終わった」です。

次のブログ記事は「Phantom3 手持ち撮影 言奈(いうな)地蔵」です。

最近のコンテンツはインデックスページで見られます。過去に書かれたものはアーカイブのページで見られます。